パパス紙面書評



   
          ぱぱすは不滅である
          「ウエルパパス」2001年革命!!! 
          ぱぱすに変動
          「今回パワー不足かな?」
          「何ヶ月かに一回やってくる女パワー」
          「あーやっぱりこうなったか」

    NEW  「紙面一新。ウエルぱぱす 2008年6月号Vol、123」

 パパスは毎号かなりの頻度で紙面を変えている。新しい企画が次々と現れては消えていく。そして読者の高い人気というか与える衝撃の大きい記事は連載される。ここではパパスの企画や記事の書評をやっていく。


「ウエルぱぱす」2001年革命!!!

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 パパスが2月号(第35号)から大きく紙面を変更した。いくつかの連載が姉妹紙「ウエルみぃず」へ移行してそのかわり新連載をはじめたのだ。そして以下のものが新連載となった。
 電脳オヤジへの道、テレマークスキー(オヤジのB級ホビー宣言)、日本のちょっとここがヘン、チョット変わったお店紹介などである。
 また「ウエルみぃず」に移行したのは、健康の知恵袋、プロフェッソウル・ドクター・ポカの何でも来い相談室、東海異人伝「みぃず編」、おばさんの気持ち、OL花子のオヤジ観察日記、映画の散歩道などである。
 1ヶ月に1回の発行であったウエルぱぱすが読者の反応のよさにさらに拡大していく方針をとったようだ。その他のフリーペーパーも各地域で独自に折り込まれ、1週間に一紙ずつフリーペーパーが家庭に届くことになった。
 この方針は果たして吉と出るか凶と出るか?ともかく、新しい企画を練る以上、質の良いライター確保がネックとなろう。ところで「ウエルみぃず」であるが地域限定ですでに3号まで出ていたようである。編集人が「加藤あつこ」となっているところから、ウエルぱぱすの女性スタッフが中心となって、立ち上げたようである。そしてぱぱすと同様、全県かに配布された。パパ向けがあるならママ向けもということではじめたらしい。まあ、同じスタッフによる分業なのだからさほど製作現場が変わることもないし、一ヶ月の間にぱぱす同様、みぃずも入ってくるわけだから、読み手も記事が2分割されたというだけで大きな変化は感じないだろう。
 しかし、ぱぱすから移行した記事はどれも長期連載ものであり人気も高いものであった。それに替わるぱぱすの新連載は移行記事に対して十分穴を埋めるに耐えうるものだろうか?
 それともうひとつ気になることがある。それは広告の紙面増加である。2月号は、2ページにわたり広告が載せられた。これによって飛ばされた記事はどうゆう扱いになるのか。興味深い点である。ちなみに2月号は紙面も薄くなり内容はややトーンダウンしている。3月号に期待してくれというような内容が編集後記に書いてあった。願わくば分割して二つともワヤになることのないように編集人には奮起していただきたい。
 「ウエルぱぱす」は不滅である!!!

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 ぱぱす4月号(第37号)は35号、36号の不安を見事に吹き飛ばしてくれた。広告をばっさり減らして記事を充実させたのだ。かつてのぱぱすが復活した。喜ばしいことだ。久しぶりと言うか、やっとと言うか、今回の記事には、お二方の変人オヤジが登場してくれた。一人は、一面に、もう一人は「オヤジ探検隊」に。山本祐一さんはすでに他界されている。しかし見事なまでの造形感覚で貝殻公園を独力で造った。しかし、この公園も不埒な若者によってさまざまな迫害を受けている。「若人よ 明治につづけ ど根性」のメッセージもこの若者には届かないと言う締めもいちいち納得いく。
 西山氏は、漢字もピラミッドもみーんな日本が最初に創ったと信じて疑わない。しかも、それを文部省は教育に反映させないと怒っている。教育批判も数多あるが、彼の批判は結構えぐくてある種の迫力を感じる。ところがこんな人たちにも負けず、ぱぱす探検隊は、「おっぱい岩」をなでなでしてよろこんどるのだ。この感覚こそ、ウェルパパスらしくてとてもよい。


パパスに変動が!?

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 50号5月号から、ぱぱすの書面が一新した。どうやら姉妹紙のウエル・ミーンズが休刊(廃刊?)し、そこのライターさんたちが、ぱぱすに入り込んできたようだ。もともとぱぱすで書いていた人たちが、女性対象を目指し、分派したのがミーンズだったわけだから、元の鞘に納まったということか。しかし、なぜミーンズは廃刊になったのか?ある情報筋によると、中日新聞本社からの補助金がまあ事前の約束どおり、カットされることになったようだ。当然ながらこの状況は予想されており、ぱぱすのスタッフは、自主財源を獲得するため、ぱぱすに載せる広告収入を着実に確保していたようで、ぱぱす本体までが、廃刊される事態は避けられたようだ。ではなぜ中日新聞社は補助金をカットしたのか。まあそれは今の不景気が大きな原因になっていることだろう。しかし、この一連のフリーペーパーはかなり成功しており、読者もついていた。ミーンズ休刊に関しても惜しまれる声が多いと聞く。ぱぱすおよびその姉妹紙は他の新聞社に対する差別化に大いに貢献したことは事実であろう。他の未確認情報筋によると、中日新聞が、ウエルパパスの動向を見て、こいつはいけるということで、自社で独自にフリーペーパーをやろうと計画しているというものもある。しかし今の中日新聞の内部スタッフにそれだけの力量があるだろうか。中日新聞というと、一般的には、広告が多いということと東海3県下の地域情報に強いというのが売りであった。まあそれだけでも結構な部数をはいているわけだから通常守りに徹すればよいのだが、やはりうえるぱぱすのジャンルを中日新聞本社なりに取り組んでみたいのであろうか。もしもこの情報が真実であれば、どういうものが出てくるのか楽しみではある。
ところで、新しくなった50号だが、とりあえず、ミーンズのライターとぱぱすのライターを一気に入れたという内容だ。しかし、両者のライターの幾人かはこの機会にリストラされている。たとえば、電脳オヤジは最終回である。日本のちょっとここが変も消え去った。こんな本見つけたも時々カットされている。オヤジ探検隊も以後途切れることがある。それに対して、ミーンズのライターで以後のぱぱすに連載しているのは、ドクター・ポカ、おばさんの気持ち、映画の散歩道、お見合い達人心得帳といったところか。
 子育てバトル待ったなし、とママハハ奮戦気は隔月か、3回に一回の連載だ。
さらにぱぱすのカットも以前の人に戻った。確かに今までのデザイナーのカットは、はっきり言っていまいちであった。記事の内容をしっかり読みきってそれを風刺するような踏み込んだカットではなかった。思うに基本的に、売れてるデザイナーとは思われない。これもリストラということか。なかなか厳しい、状況である。
 さて、毎号連載で生き残りとなった、ミーンズライターの記事であるが、私なりに評価してみると、まずドクター・ポカはぱぱす時代と変わらぬ鋭いタッチだ。ミーンズにいっている間に女性もしくは主婦を意識したのか文章が若干やさしくなっている。ぱぱすのときは、かなり過激で、やくざの事務所のような胡散臭さがあった。これがまたよいムードをかもし出していたのだが、女性を意識した文章はどうしても毒が抜かれるので、ぱぱすに戻った以上、やはり以前の毒をばら撒いていただきたいものだ。
 次にきんぎょさんのお見合い達人心得帳であるが、このねたで引っ張るのはやや無理が生じている気がする。ぱぱす時代のダメ男をぱっぱぱっぱ切り捨てていたころの爽快さがなくて、またかつてのストーリー性もなくなり書店のお見合い本と変わらない内容になってしまっている。キンギョさんはずばり、男女のあの世界、つまり夫婦の秘めたるアレに焦点を絞り例の鋭いタッチで、ダメ男もしくは絶倫男を書いたらどうか。要するに女の恥じらいを捨てて男女のふかぁーい世界に踏み込むと面白いと思うのだが。
 次に、映画の散歩道だが、だんだん、映画興行サイドの意向を気にしすぎの内容になってしまっている。8月号のスター・ウオーズ エピソード2 クーロンの逆襲に関する映画評であるが、本人は、駄作であったと十分認識している。しかし、そこのところを深く突っ込まない。もちろん駄作だと単純に書くのでは芸がないだろう。よくよく読んでみると、すごい駄作であるということがわかるような書き方を工夫すべきではないか。例えば、自分を熱狂的なファンに見立てて、粗を全部書き並べたあとそれはすべてスター・ウオーズゆえ許されるというようにもって行くわけだ。まあ女性は優しいからそういうことはできないだろうが、ぱぱすファンとしてはせめて、おすぎとピーコぐらいの毒が欲しいのだが。それと、「・・・なのよね」調の文体はそろそろやめた方がよいのでは。文章に迫力や毒がそがれてしまうのだ。
 おばさんの気持ちのライターさんは日常の視点を面白おかしく取り上げるときの筆力は最初のころなかなかの魅力を感じた。しかし、この人もミーンズにいっている間にどうやらネタ切れを起こしたようだ。おばさんの井戸端会議を超越した視点がなくなったように感じる。思うにこの人、基本的にとてもまじめでやさしい人だと思う。だから退屈なのだ。例は悪いが、近頃、お隣さんとのトラブルで殺人事件が起こっている。そこには必ずおばさんがいた。もちろん刺したやつは男だが、きっとおばさんたちもいろいろやったんではないかと思う。そんな視点から、おばさんの気持ちを代弁してもらいたい。モット広く、もっと深く、もっとしつこく、もっとえげつなく突っ込みを入れていただきたい。「あのババア殺せ」というぐらいの投書が来てもいいではないか。それこそ、ぱぱす魂とでもいえるのではないか。
 ママハハとか子育ての記事はすでにぱぱすのジャンルから大きく外れるので、リストラもしくは3〜4号に一回の割合でご登場願ってもよいように思う。彼女たちは記事の中で次号へ引っ張ろうとしているが、もっと厳しく取り組むべきではないか。次号へ引っ張るぐらいなら、その号ですべてねたを出すべきだ。うえるぱぱすで連載を引っ張るからにはかなり、特殊な記事であるべきだろう。子育てがらみで連載を引っ張るのはどうも予定調和的でうえるぱぱす魂につながらない気がする。まあ、不倫するとか離婚するとか、ドメスティックバイオレンスとか子供がすごい非行もしくは、事件に関わるというようなことになるのなら、ひっぱても面白いが。彼女たちにそれだけの人生冒険や修羅場を潜り抜けるパワーや毒があるのか、その辺が勝負だと思う。あとついにというかやっぱりというか、53号で星占いが出てしまった。また、自然を食す、なる料理関係の記事もある。トピックスとしては面白いが、女性読者からの反応がよいからとこれを連載化するのはいちぱぱすファンとして反対である。ぱぱすは、オヤジ的視点や、逆にオヤジをぎゃふんとさせる反オヤジ的視点の過激さにその魅力があった。確かに編集部がいうようにしっかりマメに目を通しているのは女性であろう。しかし彼女たちが夢中になるのは、オヤジ的視点である。あるいは反オヤジ的なもの。ぱぱすはこのまま女性の進出を許していくと、普通の女性誌になってしまう。それはつまり、予定調和的で、平和で、保守的で、やさしい新聞になってしまうのだ。近頃、スケベ記事がなくなったのもこの流れであろう。男性の巨大な一物の写真が一面を飾っていたころのぱぱすはよかった。娘にONAを見られたオヤジの人生相談なんか今でも最高傑作だと思っている。このような内容の記事を書ける女性ライターはぱぱすにいるのか?この辺がぱぱすの危うさを感じさせるところでもある。女性におもねると、例えば、栄のデパート街のように衰退の一途を辿ることになる。大須の怪しさをやはり、ぱぱすは持ち続けるべきだ。もちろん駅前の高島屋のようにぱぱすがなれるわけではない。
 まあどちらにせよ面白いライターの発掘がぱぱすの急務であることは確かだ。


今回パワー不足かな?

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 9月号(54号) 夏休みということで、若干パワー不足を感じる。それにやたら、広告のページが多い。「ぶらり温泉」と「こんな本見つけた」がカットである。先月号より紙が一枚足りないところを見るとやはり予算不足か。ぱぱすをこよなく愛するものとして、やや寂しいものを感じる。
 前々からいわれていたが、ぱぱすは実は、オヤジよりもおばさんに読まれているのだ。そこで編集部の人たちは、ニーズに答えるということで、女向け・ババ向けの記事を載せようとしているらしい。しかし私はこれは大変な失策に繋がるのではないかと危惧している。思うに、おばさんが興味を持つのは、オヤジの立場・視点から社会を見ていくというところにあるのだ。まあ要するにオヤジのスケベ話、与太話、酔っ払いの愚痴が面白いのだ。また女性の著者に関しては、女とオヤジとの関係性がコアとなり、物語が進展していくところに面白さのエッセンスがあるのだ。
 しかし、「おばさんの気持ち」や「お見合い達人心得帳」は単に女の立場から書いているに過ぎない。しかも、内容が、面白くも、落ちもない、井戸端会議的ものであり、何かしら倫理観や常識に対するアナーキー性がまったく感じられない、予定調和的な内容だ。また、取材といった行為がなくただなんとなく感じたことを作文的に書き綴っているに過ぎない。まあ、女の退屈な日記帳みたいなものだろう。もっと何とかならないのか。
 例えば、「お見合い・・」は今回、お見合い後の「H」について書かれていた。「プロポーズ」と「H」について、だから、かなり期待したが、なんとまあ清く正しい内容であろうことか。まるで、「青少年有害図書廃絶運動」に力入れる、PTAのおばさんみたいだ。むしろそんなおばさんの非日常的スケベがにじみ出るような内容にならんものか。しかもきんぎょさんは、「次回はこれまでのアドバイスを簡単に振り返ってみたいと思います。」と次号に振ろうとしている。ぱぱすの真骨頂は、そのときに出せるねたを一気に出し切ることであり、出し惜しみして次回に繋げるなどというのは、かなり問題だ。出せるんなら今出せといいたい。つまり、今月号で、3項目ぐらいお見合いのエッセンスを箇条書きにすればよいのだ。
 「おばさんの気持ち」の「超能力」というのも、なんと言うか困った。ここでは息子と親と財布の関係性が「超能力」で結ばれているわけだが、なんてことはない。それがどうしたで終わりだ。井戸端会議でも、ほかのおばさんはきっと、にやりともしないのではないか。むしろ、例えば、夫婦の性生活と息子の関係性などを深めるともっと面白いと思うのだが。夫が強すぎて、夜の相手をするのに疲れ気味のお母さんがいて、それを超能力で嗅ぎ取った息子が、夫婦の布団の中に割り込んでいく、そんな内容が出てこないのか。「そういうことって、よくある」という内容と同時に、「それはちょっと違うんではないか」「ちょっと、あんたにはついていけない」といった内容がぜひとも欲しい。
 映画の散歩道は、やっぱり、女言葉が鼻につく。この人、映画評論に関してはセミプロ的視点を持っているのだから、表現方法をもっと工夫して、飛んでる文章を書いて欲しい。
 「まるみのちょっとあぶない探検隊」は今回ホストクラブ取材であったが、どうやらあまりたいしたことはなかったようだ。このひと基本的に、性的に飢えていない人だ。女の性に関してその有様・感覚が一歩引いており、なかなか、性的欲望のみだらでお下劣な発情を文章に出さない。だから、面白くない。文章の途中でソープランドの取材のことを書いていたが、「その話はまた機会があればね」と次回に引っ張ろうとする。今までの調子でソープランドについて書くというのならご免こうむりたい。そんな話はもっと面白く、具体的に、男性雑誌などでいくらでも書かれている。しかし、もしも、ソープランド譲に直接取材して、おばさんのみだらでお下劣な、性的欲望の観点から深くえぐるような取材をするのなら、一読に値するかもしれない。あるいはソープランドに行った亭主をどう料理するか、それも結構面白い。とにかく女とオヤジとの関係性をもっと煮詰めるべきだ。
 あと男性陣の記事は、ゆるぎない水戸黄門的安定性を誇っておる。うえるぱぱすは新しい、ライターを発掘しなければならないのではないか。特に女については、もっと特殊な職業に就いている人を発掘したい。たとえば、かつて村西とおる監督の下にいた、黒木瞳のような人だ。私はこのひとの生き様をものすごく聞きたい。確か自殺未遂で、やや頭の方が厳しいことになっているようであるが。


何ヶ月か一回やってくる女パワー

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2003年5月号(第62号)
 前にも書いたがぱぱすはかつて、ウエルミーズという女性版の姉妹紙を出していた。その後、戦略変更により、ミーズは廃刊となり、そのライターがぱぱすに何ヶ月かに一回の割合で、書くことになったようだ。
 しかし、ぱぱすはぱぱすであり、ママにはなれないのであるが・・・従って、オヤジ向けの記事と、子育てとおばさん井戸端会議をメインとした記事が並列することとなったのであるが、どう贔屓目に見ても、おばさんたちの記事は衝迫力に欠けるし、ぱぱすのもっとも中核となる、お下劣(庶民的)で助平な香りはしてこない。唯一、「ドクターポカ」の記事だけはぱぱす色をこよなくかもし出しているが、その他はどーしょーもない状態となっている。
 おばさんたちの記事がいまいちなのは一にも二にも、フットワークの狭さである。彼女たちは、取材というものをほとんどしない。彼女たちの視野は常に家庭とその近所であり、いわば、世間話の延長で終わっているのだ。75万部の読者にメッセージを送ることはそれだけで、かなり刺激的で非日常的で非家庭的な広がりを持つが、その題材が平凡で、日常的で、家庭的であるのはまさにギャグである。しかし、かろうじて一面の「科学の付録」や「それいけ!おやじ探検隊」の記事によってぱぱすはぱぱすとなっている。
 しかし、「おばさんの気持ち」「買い物」1という1はないでしょう。まさか次号も買い物の記事を書く気でいるのか?そうだったら、彼女たちのおかげで掲載を見送られている、「ぶらり温泉」を代わりに載せて欲しい。
 それから「ワタシ流出産&子育て日記」の著者の子どもの写真が掲載されていたが、こいつはやばいんじゃないの! ペンネームを基本とするぱぱすで自分の子どもの写真を掲載するなんてねぇ・・まるでたまごくらぶ、ひよこくらぶの自慢の息子投稿写真の乗りでしょう。ぱぱすの紙面を借りた女の見栄が・・といったら怒られるかもしれないが、逆に言うとこの首尾一貫性のないむちゃくちゃさがぱぱすのよいところでもあるのかもしれない。
 次回は「漢」のお下劣で助平なそしておやじの体臭が匂ってきそうな強烈な記事を心よりお待ちしております。


あー、やっぱりこうなったか。

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2003年6月(第63号)
 おばさんの気持ち「買い物」2は、ついにゆくところまで行ってしまった。著者のプロフィールによるとこのひとはおばさんであるが、文集も書けるとある。しかし、根本的にアマチュアだ。この連載のコーナーをまったく私物化し、まるでネットの掲示板の店の悪口と同じように利用しているだけだ。言い直そう、利用しているに過ぎない。言い直そう、私の気に食わないことはぱぱすで、書いてやるぞーと恫喝して、オバタリアン的クサ〜ア根性をさらけ出しているかなり困った人だ。
「このおばさんをなめるんじゃぁーないわよ。二度とそこでは買わないだけでなく、「ぱぱす」に書いて七十五万部もまき散らしてやるんだぁ〜、プンプン!!」が文末である。編集人はこんな人をいつまでも書かせておいてよいのか。
 確かにぱぱすはおやじのための新聞だが、読者のほとんどは女性である。しかもおばさんが多いと聞く。したがって、「こんな本見つけた」の「サイレントラブ」五木寛之の「ポリネシアンセックス」の記事には、「またまた、こんな下ネタを書いて、一緒に読んでいる娘がいるのにとても見せられない!!」「中日新聞に抗議してやる」といった反応が出るかもしれない。しかしぱぱすは下ネタを追い続ける。きっとこんな抗議をするであろうおばさんたちも、こそこそ下ネタ記事を読み漁り、近頃トンとご無沙汰な亭主に、「ねぇ あなたぁ〜 ポリネシアンセックスってしってるぅ〜」なぁ〜んて迫っているに違いないと想像するからである。
 だから、ぱぱすは75万部を保持し続けているのだ。しかし、上記の記事を無節制に載せつづけるとやがて読者は離れていくのではないか?私はそれがとても心配である。ぱぱすにはいき長く続けて欲しいファンの一人として、大いなる危機感を持つのである。
 子育てバトルの「犬がきた」はかつてのB級ホビーペット編を著者 「いさき よしえ」さんが読んでいたらきっと書けなかったと思われるが、彼女は当然ながらかつてのぱぱすの記事など知る由もないだろう。
 そろそろぱぱすのリニューアルが必要な時期に来たのではないかと思うのであるが・・・


「ウエルぱぱす」が、2008年6月号 Vol、123 5月28日発行より、紙面を一新した模様!!

 ぺらぺらと5月28日の中日新聞の広告を見ていたところ、そのなかから異様なるオーラを私は感じた。どこか懐かしい。そして、怪しい、雰囲気だ。その原因はフリーペーパー「ウエルぱぱす」から放たれていた。なんか変だぞ。一面を見ると、お馬さんの記事。しかも地方競馬の予想屋のおやじの記事だ。怪しい。胡散臭い。私は一面をそそくさと読み漁り次のページを開いた。すると、そこには「いま学校はワヤだがや」が復活しているではないか。谷川篤の「オレは名古屋市内の某中学校の体育教師だ・・のあの懐かしいフレーズで始まっている。中身を食い入るように見ると。「編集者の意向で再び「ウエルぱぱす」に登場することとなった」とある。
 しかも、「Dr,POKAAの何でも来い相談室」も復活している。立ち飲み人生を書いていた、沖てる夫が「ほろ酔い人生劇場」なるお題目でまたまた、飲み歩き記事を書き連ねている。そして圧巻なのは次の見開き2ページにわたる「おやじ探検隊」の復活だ。かつては、国際秘宝館などの数々の怪しい探検隊シリーズを書いていた面々である。彼らが、「競馬場はおやじのオアシスだ!」とぶち上げている。「おばさんの気持ち」もある。次のページは、至ってマイナーな映画を紹介する映画評論家 安住恭子がまたまた名古屋シネマステークでしか放映しないような「接吻」なる映画を熱っぽく紹介している。ぱぱす写真館は「県内唯一のゼロ戦」だ。ヤング山本の「辛口ドラゴンズ通信簿」も思い入れの激しい視点からドラゴンズを切り込んでいる。。そして、確かに今のドラゴンズはアカン。
 カラー写真はきれいになったし、広告の量も多い。しかし、これら広告を意識させないほどに怪しく、胡散臭く、おもしろい。、記事が只ならぬオーラを発している。
 それぞれの記事に著者のプロフィールが載せてあるところから、ライターが一新されたようだ。しかも、2004年1月より紙面を一新して、ライターが変わって以来の大変革である。はっきり言って、2004年1月以前のライターに戻ったようだ。
 ということはこれらの記事を束ねる編集人も創刊以来ぱぱすのフリーペーパーを702000部まで伸ばしてきた人が再登場して大変革をしたことになろう。
 こりゃおもしろくなったね。あまた、フリーペーパーは存在するが、かつてのウエルぱぱすはそのなかでも異彩を放っていた。広告の付録ではなく、記事が読まれ、広告がおまけについている、そんな紙面構成であった。
 今回、一新されたぱぱすは確かに広告のスペースは、従来どうりだ。その分、記事の方はスペースが少なくなっている。しかし、ライターが帰ってきた。一癖もふた癖もあるライターがそれこそワヤだがやに書いてあるようにゾンビのごとく再生している。
 またまた、第4週水曜日が楽しみになってきた。
 記事がおもしろくなって、こんなおもしろい記事ならば、読者が夢中になって読み漁るだろう。ならば、そこに広告を載せてください。という、記事と広告のヘゲモニーが逆転することも今後ありうるかもしれない。これは本来あるフリーペーパーの復活である。先に記事ありきだ。この良質の記事を支えるためにこそ広告が載る。
 きっと、今回の一新する前のぱぱすは先に広告ありきの編集だったのではないだろうか。確かに、この不景気だ。販売店からの資金だけでは、702000部を支えることはできない。肥大化したが故に、記事がその紙面を減らししかもライターを一新したために、そして、少なからず、内容も中日新聞本社の意向を、つまりは検閲をうけて、本来あるべきフリー(自由)ペーパーのダイナミックスさを失ってしまったのかもしれない。
 そして、創刊者である編集人に泣きを入れた。やっぱり前の方がよい。創刊者は、つまりパイオニアにはこだわりの哲学がある。そのゆるぎなき哲学は、万人に受け入れられ、部数を数万部から70万部まで伸ばす成果をあげた。後を受け継いだものはどうやら、それだけの哲学も力量も不足していたようだ。聞くところによると、編集者も記事の初歩的かつ最悪のミスを発生させたり、編集人のスキャンダルが起こったやに噂で聞こえてきた。
 創業者を2代目3代目はなかなか乗り越えることができない。まあ、その典型的な例になってしまったのではないか。
 今後、この再生したぱぱすが生き残っていけるかどうかは、ひとえに編集人の力とライターの筆力に負うことが大きいだろう。がんばって欲しい!!かつてのように第4週水曜日が待ちどうしくなるようになって欲しい。広告に埋もれるのではなく、個性あるフリーペーパーとしてその存在をアピールして欲しい。
 私はぱぱすファンクラブをこのサイトに再生していきたいと思う。
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